「アメリ」でも「パリ・ジュテーム」でも映画ファンなら世界中の人がみて知っている地下鉄駅…ところがこの駅は、パリジェンヌは誰も知らない。スクリーンではみんなに見られているが、パリの人達はその駅の実在をしらないのだ。映画のためだけに存在する幻の駅だから。その駅のなまえは「ポルト・デ・リラ」。かのゲンズブールのリラの門の切符売りもいたはずのこの駅は映画のなかではいろいろの名前で登場する。ジュネの「アメリ」では「アベス駅」になり、「パリ・ジュテーム」では「チュルリー駅」になっている。
パリ交通公団が映画のために、この駅をオールド・ファツションのまま、保持している。勿論本来の「ポルト・デ・リラ」の看板は掛かっているのだが、いつでも「コンコルド駅」や「オペラ駅」に変身できるようになっている。味のある1950年代の地下鉄路線図も用意されて映画でもテレビでもいつでも来いの体制がととのっている。ホームに至る階段も地下19メートルまで昔のままにのびて長尺ノシーンにもたえられるという便利さだ。公団ではいまでは使われなくなった古い車両もつねに用意、驚くことに昔の大きな広告まであるという。
パリ市民が毎日利用している「ポルト・デ・リラ」の壁の向こうにもうひとつの「ポルト・デ・リラ」があり、そこでピアフの物語からジョルジュ・ブラツサンスの唄まで、あるいは殺人劇が、恋の物語が作られているというのは愉快だ。ありものの風景を紹介してフィルム・コミッションと称している団体は日本にも沢山あるが、取り組み方が根本的に違うような気がする。なにをしても中途半端なのは、この国の貧しさなのか、それとも文化度の低さなのか。パリでの映像作りの現場にかかわつてしみじみと考えさせられた。
誰も知らないメトロの駅
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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