「得した人、損した人」と題したテレビ番組がある。
「好きな人、嫌いな人」という特集もあった。
比較対象して論をたてるメディアは昔からあったが、デジタル社会になって極端に増えたように感じる。ひとつひとつの事例ごとに論じるのは面倒くさいし、みんなにも喜ばれないから、dボタンを押してそのあとはカラーボタンで好きな人を選んでください。 というシンプルにしていい加減なデータによる情報移転の調査報告だ。
久しく人気から離れていたラクビーが、五郎丸歩のアイコンとともに異常な人気を博している。正月2日秩父宮ラグビー場だけの風物詩が、五郎丸の祈りのルーティーンと共にオール女子にひろがった。本田圭佑のサッカーなどあっという間に片隅に追いやられた。
このふたりを較べれば五郎丸のほうが圧倒的にお金の臭いがせず、精錬なスポーツ精神に近いとみんなが
感じたのだろう。
スケートの羽生結弦の人気も、計算と虚飾にまみれた女子フィギィアの現状に飽き飽きしていたファンの心を掴んだ。スリムな羽生の肉体には求道者としてのイメージこそすれ、ハーフハーフなどと発言してファンの心を弄ぶような偽アスリートの影はない。
又吉直樹の芥川賞も、これによってお笑い全体の知性が底上げされた。ヨシモトを中心にした騒々しく下品なお笑いだけではない、というイメージが広がり、お笑いのバックヤードを広げた功績は大きい。
巨人の野球賭博と清原のクスリ漬けを消し去るのも、求道者のイチローに、さらなる清純なアスリートの登場が必要となる。 …さて今年の効用ある話題は何処に。
話題の効用
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プロフィール

星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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