ここ数日、東日本大震災の報道が紙面をうずめつくしている。
3月12日に壊滅的地震に見舞われた長野県北部栄村の子供たちが、ぼくたちの被災も忘れないでください、と訴えていた。家を失い仮設住宅で不便な毎日を送っている現状は三陸の被災地と変わらないという悲痛な叫びである。
みんな忘れているが、3月11日の前日3月10日と言う日は東京に住んでいた人間にとって悲劇的な1日だった。
第二次世界大戦の末期、B29の空襲により東京は見渡す限りの焼野原になった。電気も止まり、水道もでなくなり、一切の公共サービスもストップして、東京の都市機能はすべて奪われたのだ。
都民は老いも若きも皆僅かばかりのカンパンや炒り米をもって歩いた。学校へも、職場へもみんな黙々と歩いた。交通機関はすべてストップしていた。仮設住宅もバラックも夢のまた夢であり、みな庭の片隅に掘られた防空壕で夜を凌いだ。
絶えず鳴り響く空襲警報、戦闘機の襲撃、B29の轟音、たまになる高射砲の迎撃、そんな情況のなかで私たちは敗戦までの日々をすごしたのだ。それは絶望的な時間だった。
3月10日 東京大空襲
3月11日 東日本大震災
このふたつは昭和・平成の悲しみの日として、忘れることの出来ない刻印なのだ。
記憶を超えた悲しみの日
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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