言葉遊びの達人・千景みつる

by

in

言葉遊びの達人・千景みつる
 千景みつるという名の元SKDスターがいる。
 かって韓国の説話文学「沈清伝」を国際劇場でミュージカル化したおり、主役の沈清に抜擢した少女だ。いまではすっかり大人になり、結婚もし、子供を育て、夫の死に立ち会い、それでも雀百まで踊りを忘れずと、市山流で踊っている。
 その彼女がまま、段組みのプリントを届けてくれる。銀座でのフォト展に現れ、薄いピンク色の封筒に段組みプリントを入れてとどけてくれた。
「ふるさとは 遠きにありておもうもの そして悲しくうたうもの」 室生犀星・小景異情その二 より
                     以上の有名詩のパロディをつくれという課題のようである。
 地賞・「財産は何から何まで妻のもの そして私も妻のもの」  (千景)  
     妻の場を冷静に認識できる妻は珍しい。大台にのったむかしの踊り子にしてはなかなかの作品と感心     した。
 川柳の本などほとんど購入したことがない。だから川柳や言葉遊びには縁が遠い。が読んでみると面白い。
 人賞・「デパートは地下で試食ができるもの そして涼んで帰るもの」  (天野) 流行のグルメで賞。
 11位・「公約は大衆受けをねらうもの そして忘れてしまうもの」  (松﨑) さしずめ円楽賞か。
 同じく・「パンティはそっと頭に被るもの そしてニッコリわらうもの」 (小林正雄) 下品デ賞。
 番外・ 「携帯は女房に隠れて使うもの そしてバレたら壊されるもの」 (志村) 前科デ賞。
 そして江戸中期から流行った「ものは付け」雑俳のひとつ「見てみたいもの」には
 ・あると言われる その寺の秘仏  (吉住)
 ・藤原紀香と熊切あさ美のケンカ  (梶)
 ・女房の腹のなか         (岡田)
 ・小野小町のヘアヌード      (志村)
 浅草にある有遊会なる言葉遊びの集まりらしい。
 江戸っ子がまだここに生きていたという喜びの瞬間だった。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ