パリに大きな墓地は3つある。
モンマルトルとモンパルナスと、そしていちばん広い…43ヘクタール、東京ドーム10個分の広さのあるペール・ラシェーズ墓地だ。
墓地といっても、怨念を背負った足のないお化けの出そうな墓地はひとつもない。どこも明るく清々しい空気がただよっている。墓地のなかの道には名が付けられ、墓はアドレスをもっているので、わかり易いが広さゆえ探すのは大変だ。お墓詣りは墓地のなかをめざすお墓まで車で乗り付ける。
お墓ツアーの観光団体もいる。いつも花に埋まっているショハン。キスマークがいっぱいのオスカーワイルドはついにガラスに囲まれてキス出来なくなってしまった。かのマリア・カラスは骨壺合同安置所の地下にさびしく眠っている。
ムーランルージュのすぐ側にあるモンマルトルの墓地には、エミール・ゾラ、ベルリオーズ、ハイネ、ニジンスキーなど、華やかなのは自殺した歌姫ダリダの墓、美しく蠱惑的な彼女の全身像の背後に金の後光が輝いている。そしてなによりも素敵なのは、オペラ椿姫のモデルとなった高級娼婦アルフォンシーヌ・プレシーの160年花の絶えないお墓だ。
そしてモンパルナスの墓地には、いま人気復活のゲンズブール、詩人のボードレール、モーパッサン、サンサーンス、サルトル・ボーヴォアールなどが眠っている。
どこの墓地にも自称案内人のような怪しげなガイドがいるが、ベンチでは恋人たちが静かなデートを楽しんでいる。墓の形とたたずまいに歴史が見えて、興味は尽きない。
観光と歴史と愛のオハカ
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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