親中・親ロ派大臣の大あくび

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 「即刻、更迭せよ!」有本香さんに吠えられていた。
 親中派として広く知られている林芳正外務大臣である。
 「呆れて言葉もなかった。だらしない様子はNHKの全国放送のカメラによって、しっかりとらえられていた。」
 岸田総理の安倍前総理への嫌がらせとして、同じ選挙区から抜擢されたのが、林芳正という親中派代表大臣である。
 ロシアの侵犯でひどい目にあっているウクライナ・ゼレンスキー大統領の国会中継中の出来事……最前列に首相とともに並んで座った林外務大臣が、大統領の節度ある演説の最中に大あくびをしたのだ。
 外務大臣として呆れた行為だ。
 ミサイルのしたから命をかけて訴えているゼレンスキー大統領にたいする敬意のひとかけらもない。
 人間として欠落者である。
 東大法学部出身ときいてさもありなんと思った。東大出身の権力者に時折みかける傲慢な一面である。
 英語ができて、昼も夜も赤坂のセクシー個室ヨガに通う下品な男の代表である。
 あの大あくびは、中国にたいして見せた忠実度、ロシアへの忠実度の表現だったのではと、確信犯説すらでている。
 ウクライナ・コルスンスキー大使の面会を一か月放置していのも、この男である。鈴木副大臣、林大臣、外務省には親ロ派が巣食っている。
 大あくびは、中国とロシアへの忠誠を誓ったサインだったのかもしれない。 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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