覆面レスラーを議員に選んだ長野市民

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グレート無茶.jpg
 長野市議会議員選挙の結果を見てのけぞった。
 普段教育県をもって任じ、議論好きの長野の県都の議員投票結果が、これだとは信じられない。
 覆面レスラーの「グレート無茶」なる人間がぶっちぎりのトップ当選だ。315.528人の長野市有権者のうち40.31%しか投票しなかったが、なにはともあれ6.231人が投票したのが、覆面レスラー「グレート無茶」というお粗末きわまりない結果だった。
 そのうえメディアの話題は、当選したあかつきに覆面で登院するやいなやの賛否両論である。どこまで阿呆なのか、立候補したやつも、投票した人間も、メディアも、まとめてアキレタ族である。
 グレート無茶は6000人の人が投票してくれたのだから、覆面マスクで議会に出ないと礼儀に欠けると訳の分からないことを言っている。議会側は委員会を開いて議論すると答えている。一回開いたが結論がでなかったので再び委員会を開いて審議する。いい加減にしてほしい。市民の負託に答えて議論する議会に、商売道具の覆面マスクをつけてでてくるなど正気の沙汰に非ず、議論の余地はない。
 品位がないとかいっているが、常識がないのだ。
 岩手県議会議員に選出された学歴詐称の「ザ・グレート・サスケ」、大分市議会議員に選ばれた「スカルリーバー・エイジ」、大坂和泉市議会議員に当選した「スペル・デルフィン」についで、四番目に覆面議員選出都市になったのが「長野市」。議会もどん底まで落ちて馬鹿にされたと認識すべきだ。
 議会とリングの区別がつかないスポーツ馬鹿が大手を振って歩いている。マスクの下が本人かどうか確認できないので、という議会事務局の見解は洒落のつもりか。
 長野市民の民度は地に堕ちたと、いわれても致し方ない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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