襲名と襲名披露

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襲名と襲名披露
 襲名とは芸の記憶と歴史を一身に継ぐことだ、といわれている。
 近頃の襲名はたいへん軽くなったようにも思うが、それを取り巻く状況がカジュアル化し、すべてが金銭に置き換えられて、パブリシィティの成否とともに論じられる現実があるのが悲しいことではなかろうか。
 かって口上は厳粛極まりない儀式だった。それゆえに役者は一門の神仏に参り、御贔屓筋には一年もまえから挨拶回りをし、先輩俳優と勧進元の許しをいただいて、ようやく襲名披露の公演に臨んだ。
 「一座高うはござりまするが…」という冒頭の決まり文句そのままに、客に対し、御贔屓に対対して慇懃に挨拶を述べる場だった。先輩の役者が後輩の役者を客に改めて紹介し、お引き立てを願う挨拶の場だった。近頃の口上では、内輪の仲良しをアピールしたり、夜の巷での武勇伝を披露したり、ショーアップの勘違いが横行している。つまらない暴露話を喜ぶ観客にもこまったもので、テレビのワイドショーを覗くような気分で劇場にきているのだ。
 折しも芝雀が雀右衛門の名跡襲名披露興行をしている。その前は、翫雀が鴈治郎をつぎ、上方歌舞伎の芸を伝承している。襲名とともに芸格が大きくなり、若い時のようただ演じるだけではない思慮深さが表現に滲んでくる。
 猿之助を継いだ亀治郎は一門の総帥としての思慮が加わって一回りも二回りも大きくなった。
 日本舞踊の世界でも、吾妻徳弥が徳穂となり、井上三千子が井上八千代を継承した。それまでやんちゃに表現していた振りに、継承への責任感がでて見応えのある舞台になってきた。
 観客は襲名された名前に重ねられた芸の歴史と、自分の人生を投影して迎い会うのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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