表現の自由とイスラム教徒との闘い

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 フランスとアラブ諸国の関係に危機が迫っている。
 マクロン大統領は「表現の自由は絶対に守らねばならない。なぜなら1789年のフランス革命以来我々が血の代償を払って手に入れたものであるから。風刺や批評を失った文明は我々にふたたび暗黒をもたらすだろう。」
 この声明に対し、トルコのエルドアン大統領をはじめ、パレスチナのハマス、イランのハッサン・ローハニ大統領など50ヶ国以上のイスラム協力機構が噛みついた。「フランスの特定の政治家によるイスラム世界とフランスにとっての有害な談話である。」 
 クウエートやカタールでは、フランス製品の不買運動まで起きていると伝えられる。
 原因は2015年に起きたフランス風刺雑誌「シャルリー・エブド」によるイスラム教預言者ムハンマドの風刺画である。
 イスラム狂信者がシャルリー・エブド社に殴り込み、編集スタッフ、画家、など12人を殺戮した。以来シャルリー・エブド社はへこたれることなくイスラム教の預言者ムハンマドに対する風刺を続けてきた。
 2015年のシャルリー・エブド社襲撃についで、
 2020年10月16日にはパリ郊外の中学校教師サミエル・パティさんが首をきられて殺された。
 同じく10月29日には、ニースのカソリック教会で、イスラム教徒により男女3人か、殺害された。
 預言者への冒涜だといって風刺画をけっして許さないイスラム世界の価値観が真っ向からフランスの文明に挑んできた。
 フランス側も風刺や批評は我々の権利であると主張し、一歩も下がる気配はない。
 表現の自由が勝つか、宗教の尊厳が勝つか、共産主義と資本主義の対立にも似た世紀末の争いである。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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