深夜なにげなくNHKテレビを付けていたら、「街角ピアノ」が映し出されていた。
取材と言うほどでもなく、定点観測のようなゆるい映像だったが、深夜の山岳映像のように環境テレビにはまっていた。
通りかかった子供がネコフンジャッタ、酔いどれおじさんは思いがけずマイウェイ、若い頃はピアニストを目指していたのかもと思われる縦ロールのお姉さんはショパンの前奏曲、愛の賛歌をひく白髪の後期高齢者……想像を超えた人々がピアノのまえに座る。
街角ピアノには置かれた場所の風土の特徴が見える。
渋谷には渋谷なりの、新百合ヶ丘にはシンユリなりの人々と曲が演奏される。四万十の公園ではハンガリアン舞曲が演奏され、遠くでJK女子がヒップホップで踊っていた。
パリの街角ピアノは、デパートのギャルリー・ラファイエットの正面玄関前で、ドビッシーを弾くヒゲの伯父さんがいたし、サンジェルマンの地下鉄の入口には、ジャズ・シャンソンを弾いていた街角ピアノがいた。
軽井沢ではソニー会長だった大賀典雄さんがホールを寄付してくれたが、彼は素人のガチャ弾きには貸せないといってエリートを気取っていたのが残念だった。
素人の街角ピアノを聴いていると、普通の人々の音楽、暮らしのなかの音楽が、音楽学校の音楽よりはるかに深く人生を奏でていることにきずく。子供を抱いたお母さんの子守唄が如何に優れているかが判ってくる。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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