行き着く先は自爆営業

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 一流デパードのブランド・ショップや、青山のブティックで買い物をすると、申し合わせたようにあとから、自筆のお礼状がとどく。 「何かあったら何時でも対応するので言ってくれ」というのと、「これからもよろしく」とあるのだが、以後ソルドやら期末セールのお誘いは猛烈を極める。
 ブティックのお嬢さんが、一人二人ではなく、多くの顧客にいちいち自筆のお礼状を書くのは、大変だと同情するのだが、デパートのインショップも売り上げ目標にとどかなければ追い出される運命にあり、いまや世の中は多かれ少なかれマーケティングに振り舞わされている、ブラック・ショップとブラック企業だらけだ。
 行き着く先が「自爆営業」とあった。 現場は郵便会社。
 過酷を極めるのは、年賀状の発売日、局員たちは身銭をきってノルマの年賀はがきを買い取り、金券ショップに走る。発売日なら買い取り価格はまだ高い。日日の経過とともに買取価格はどんどん下がるので、一刻も早く金券ショップに駆け込まなければならない。世の中はいまメールの時代で、年賀状など誰も書きません、と言いたいが、上司にそんな言い訳が通る筈もなく、郵便局員は追い詰められていく。
 郵便局員は年賀はがき、暑中見舞い、ふるさと小包、レターパックと、一年中ノルマに追いまわされる。
上の人は前年比20%増しが努力目標というが、実際には必須ノルマだというから大変だ。
 「郵便局の一番のお得意様は郵便局員である。」という笑えない話まである。
 これを自爆営業というらしいが、過労死のワタミにしろ、ユニクロの離職率50%にしろ、楽天の「大事な話なので日本語で話します」という社長談話にしろ、みなみずからの足を食べている自爆営業にほかならない。
 儲かるものは何でもという強欲資本主義からもういい加減に卒業したら如何。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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