虎屋のお雛様

by

in

 家のまつりのなかで、いちばん華やかな祭りは雛のまつりだった。
桐の箱のなかで、やさしい和紙につつまれ四季を過ごしてきた雛を宝物のように、ひとつひとつ取り出してひな壇に飾られていくわくわく感は、幼な心に夢の時間だった。
 レディファーストを声高に論じるアメリカや、ヨーロツパには雛祭りはない。モダンな職業について働く女性達ほど、伝統的な祭事を大切にしない。実業や社会で働く女性ほど、こうしたスローライフを大切に思わないのはとても不思議なことだ。女の子を大事にし、成長を願い、豊かな暮らしを願う雛のまつりこそ、あなた達女権論者にふさわしい祭りだとおもうのだが。
 南青山の根津美術館で「虎屋のお雛様」が公開された。いままでも祇園本殿に飾られた三井家の雛飾りなど拝見してきたが、虎屋の雛は道具立てにおいて圧倒的なものがあり、現存する雛飾りのなかで恐らく日本一かもしれない。
 重箱ひとつとっても、珍しい御所車形の三段重に始まり、歌留多形のわずか3.6センチのお重まで、あらゆる技術を駆使して作られた牡丹長尾鳥文、扇散文、御簾文、寄木面取、梅花文、花ノ丸七宝文、桜花文、梅鴬文、松鶴文、牡丹唐草文、梅文、市松唐草文、と13種におよぶミニチュアな重箱に驚く。弁当箱も提重から鼓形花見重まで11種、蝿帳8種、高杯、三方11種、呉服盆14種、膳7種、陶器、ガラス器、酒器、婚礼道具、乗り物、食籠、火鉢、水屋道具一式、屏風16種、灯火具、化粧道具、家具、武具、飾り物、盆栽、遊びの道具には楽器類、茶道具、文房具、読書、香道具とあり、煙草盆、遊戯具、さらに銀製雛道具とつづく。虎屋の雛道具をみれば、当時の江戸町民の暮らしの全貌がみえる。
 永らく続いたアメリカ憧れ病からようやくさめつつある日本人が、戦後切り捨ててきた和の暮らしの良さに気がつき、雛の展覧に足をはこぶようになったことはとても喜ばしい。
 


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ