虎ノ門ニュース消滅 とその後

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 YouTubeの「虎ノ門ニュース」にいちはやく注目したのは故安倍首相だった。
 安倍さんは地上波の司会者・論客たちが「ネトウヨ」と呼んで馬鹿にしていた当時、いちはやく「虎ノ門ニュース」に注目し、そこに集った論客たちを官邸に招いて意見をきいていた。「ネトウヨ」どころか、愛国者・民族系ジャーナリストとして正当に評価していた。
 そこではリベラル左派のような上げ底の議論ではなく、深い国家観について正面からの談論が主役だったときいている。
 朝日・毎日・東京など左傾化した新聞、総合評論誌、地上波テレビが眼にみえて力を失い、国民の信を失ったとき、なにが原因だったかについて見識をもって対応したのが安倍さんだった。
 百田尚樹、須田慎一郎、竹田恒泰、櫻井よしこ、有本香、高橋洋一、長谷川幸洋、門田隆将、田北眞樹子、大高未貴、石平、井上和彦等々…虎ノ門ニュースには地上波に登場しない素晴らしいキャラクターが集まっていた。
 居島一平の司会のもと、自由で闊達な議論が展開され、筆者などは海外に行ったとき、「虎ノ門ニュース」によつて、日本と世界の情報を得ていた。 が残念なことに親会社の身売りによって、番組は消滅、雲散霧消してしまう。
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 虎ノ門の終わりによって論客たちを中心にいくつかのネット・ニュースが立ち上がった。喜ばしいことだが、なかには期待はずれもある。
 「帰ってきた虎ノ門ニュース」はかってのスタッフによって始まったシーズンXのようなものだが、致命傷は既成地上波への反省が全くなく、地上波的プロデュースを追いかけている。失敗の第一は司会者の田中大貴。キー局アナの欠点100%の男である。上から目線で言葉が軽くニュースのリアリティが消えてしまうのだ。 
 「闇鍋ジャーナル」も折角一平ちゃんを迎えながら、鍋からあみだ籤といったバラェティ紛いの仕掛けを作っている。そんなものはニュースに興味のある視聴者には邪魔でしかない。何故論客たちのストレート・トークで制作できないのか、時にオバカな半端娘を司会にするなど地上波の間違いをおっかけている。 ひとえに制作陣の貧困である。
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 「あさ8時」百田、有本の二人で論陣を張っている。余計な作りこみがないので素直に聞いていられる。
  ネットニュースの最大の敵は、予定調和の地上波風作りこみである。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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