藤舎名生は現代の名人。

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 1972年世界の空にジャンボジェツトが登場し、日航羽田・香港線に就航することになった。オーダーはジャンボのなかでKIMONO SHOWをして欲しい。到着地の香港では、ヒルトンのボールルームで日中競演のMUSICAL SHOWを演出して欲しいということだった。
 機内でのショウは、ボーイング747自慢の二本の通路(なんとそれまで飛行機の機内通路は一本しかなかった)と、アッパーデッキを楽屋にして無事終えることができた。
 さて問題はヒルトンに於ける日中競演の舞台だ。「西の都に天才あり」の噂を頼りにキャスティングした藤舎推峰(のちに名生を襲名)の笛と、いま人間国宝になっている鼓の堅田喜佐久のふたりの名奏、激奏が頼り、相手は香港選りすぐりの30人の中国伝統合奏団。ふたりの息のあった激奏は見事に決まり、中国側も全員総立ちで拍手の嵐であった。たった二人で30人に勝った。
 そこから付き合いが始まり、東大寺では昭和大納経を、あるいは帝国劇場でのカネボウ・ファッションフェスティバル、ボストン美術館に於けるアート・イン・ブルーム、近くは軽井沢朗読座公演といつも素晴らしい演奏を提供してくれた。
 ひさしぶりに名生の会をきいた。いつもは歌舞伎座だが、無くなってしまったので京都アルティ。名生作曲の新作「水底の知盛」ドラマティックな手法が邦楽器を忘れさせ、普段山下洋輔のモダンジャズや林英哲の太鼓と付き合っている幅の広い感覚が生きた秀作。井上八千代が舞った道成寺も、すでに知れ渡っている素材をいかにも名生らしくリフレッシュして、久しぶりの充実した作品であった。家元も京舞の良さを充分に生かし、素にして素ではない品格ある振付と衣装でこたえていた。やはり「名生は現代の名人」の思いを深くした一夜の会だった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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