大名跡4代目坂田藤十郎さんが亡くなられた。
筆者は同じ年齢だったので想いは多く、芝居は勿論のこと、天下にとどろく艶名、若き頃の勉強ぶりなど、やまほどの敬意と思い出がある。
「一生青春」を座右の銘に、晩年まで輝く色艶を持ち続けた藤十郎さんは稀有な存在だった。
なかでも若き2代目中村扇雀の頃の舞台は忘れられない。当時歌舞伎の表現理論で右にでるものがいなかった武智鉄二とともに作ったいくつかの実験歌舞伎から受けた瑞々しい衝撃は、その後の歌舞伎鑑賞に決定的な影響をうけた。観客を引き付ける圧倒的な魅力のなかに明日の歌舞伎への情熱が充ち溢れ、若い演劇青年たちは涙あふれる感動にふるえた。
後年「坂田藤十郎」という元禄歌舞伎の名跡を継ぐという報にふれたとき、さもありなんと若き日の扇雀さんの横顔を思い出した。
花街でも藤十郎さんは人気者だった。祇園町では「ボンちゃん、ボンちゃん」と呼ばれ、芸妓衆や舞妓ちゃんから愛されていた。時にスクープされても誰も咎めることなく「ボンちゃんのおいたが過ぎて……ホホホ」と笑い話ですごされていた。
今頃天国のボンちゃんは、戦後の歌舞伎界を支えて扇雀、鴈治郎、藤十郎と駆け抜けた一生を、悔いなく数えていることだろう。まま父親の二代目鴈治郎さんと艶話に興じて笑っていられるかもしれない。 合掌
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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