山の手のお嬢さんの勝負服は、大抵母親の選んでくれた「レースのワンピース」だった。髪にリボンをつけ、ウェスト・ベルトは後ろで大きな花結び。清楚、真面目がテーマだった。
いまのお嬢さんはシースルーのスカートに、トップは見せるキャミソール。足も胸もそこはかとなく見せつける。なによりも勝負服は、セクシーでなければならない。
いっときは、勝負服ならぬ勝負パンツというのが話題になったが、見せる文化が当たり前となり、少しばかり大胆な勝負パンツをみても、誰も何も言わなくなって女性たちの気分も高揚しなくなったのだろう。スーパーカットのレースパンツも、危ない紐パンツも、グラビア・アイドルの小道具程度の評価になってしまった。
天才藤井聡太七段が地味なきもので、ヒューリック杯棋聖戦に登場した。黒の羽織、紺のきもの、グレーの仙台平の袴姿である。恐らく成人してから初めての着物姿であったことと推察したが、見事 王将、棋王の渡辺棋聖を破った。勝負服としてのきものは、藤井聡太七段に幸運をもたらしたのだ。
きものという地味な勝負服が見事に役割をはたした。
競馬の天皇賞や菊花賞で騎手のきる派手でペラペラのシャツがあるが、あんな勝負服より、地味なきものの勝負服のほうが遥かにいい。
作家の向田邦子さんは、小説の追い込みになるといつも勝負服に着替えたという。彼女の勝負服はお出掛けの服よりもずつと金をかけた立派な服だった。人にみせるものではなく自己の仕事に勝負する心意気が、勝負服に充ちていたというエピソードが嬉しい。
我が家の勝負服はシンプルなカフェ・エプロンと決めている。筆者は黒、デスクはワイン・カラーである。山ほどの資料に立ち向かい、パソコンの前の悪戦苦闘にはこのカフェ・エプロンがいちばんい。
なによりもコスパに優れている。
藤井七段の勝負服
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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