テレビ業界に於ける吉本の威光は大変なものだ。いやものだった。
バブルがはじけた90年以降、数年前のリーマン・ショック以降、貧乏になったテレビ各局は、みな吉本にすがった。手軽でお金の掛からない関西のお笑い芸人ほど、重宝なものはない。 台本はいらない。衣装は自前、道具は使い回し、照明適当、いちばんの取柄はギャラが安いこと。少しばかり下品でバカバカしいのは我慢しなければならない。その結果、ひな壇にずらりと並んだ2流、3流芸人の番組ばかりとなった。
良識ある視聴者はどんどんTVから離れていった。TV局の経営者は目先の利潤追求に走って自分の首を絞めていることに気が付かない。
吉本はメディア露出の旨味に酔い、長年の個人株主をきり、テレビ局を大株主にして、バラエティ番組の恒常化を計った。動機が不純なのだから、テレビと吉本の結婚はそんなに上手く行く筈ない。
上場廃止したあとの、吉本の事業はことごとく失敗している。沖縄国際映画祭、エンターテイメント・ヴィレッジ構想、47都道府県あなたの街に住みます吉本芸人土着計画、香港発衛星放送チャンネル吉本東風衛視、次々と打ち出されるプランは、莫大な借金の山を築いてきた。不動産を売却してもなお150億の借金が残っているといわれている。
芸人たちは、いまナベプロにいこうか、バーニングに移ろうかと浮足たっているそうだ。吉本100周年記念公演のフィナーレで、大崎社長は「さんまさん、どうか吉本を辞めないでください」と懇願している。
落日の吉本
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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