菱餅は女性のシンボル

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 ビルの谷間の小さなお店にはいった。
 薄暗い店内の正面に「お雛飾り」が燦然と光っていた。もう二月、どんなにオミクロン株が頑張っても、桃の花はやがて咲くのだろう。
 テレビでは、「……お雛様、お雛様」と連呼しながら家路につく少女を見かけるが、リアルにはそんな少女は何処にもいない。
「雛祭り」は古代中国から五節句のひとつとして伝わったと言われるが、もとは紙の人型に病を移して川へ流す「流し雛」に始まった。やがて紙人形が立派な雛人形に変わったのは、それだけ庶民の暮らしが裕福になった証しなのかもしれない。
 女の子の祭りとして、町衆に根付いたのは陰陽道の流行と関係が深いといわれる。
 雛の外には菱餅ばかり、と謳われた菱餅こそが陰陽道のなせるわざと聞いた。
 菱形は陰陽道では、女性のシンボル、女性の大切なところを餅として飾ったのは、厄除けの草餅の由来、江戸中期には草餅のみどりと雪を表す白餅が基本、その頃の風俗絵にはみどりと白の重ね餅が多く描がかれている。色彩も時とともに多様化し、くちなしの実の赤、菱の実の白、よもぎの緑が広く普及し今日にいたっている。 
 雛飾りは女の子の成長を願い、厄災から逃れる切実な庶民の祈りだった。
せめて桃の切り花のもとで、女の子がオミクロンに犯されない様、菱餅を飾って祈りを捧げよう。 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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