菖蒲飾りの嵐山吉兆待幸亭

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 突然にやってきた予想外の暑さに、渡月橋を歩く観光客の外国人もかなり困惑していた。
 12時の予約に少し早くついたので、二軒上の文華館のテラスでしばしの汗を拭い、静謐に打ち水された嵐山吉兆に伺った。
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 昼食だからとお気楽に考えていたが、案内されたのが「待幸亭」… この部屋は吉兆さんの中でもすべてが別扱いで、待幸亭メニューが特別に用意されているのだ。 昨年からクラウドファンディングを立ち上げ、保存改修につとめていた名亭である。
 60年前松月堂の中村清兄さんに誘われて伺った頃とすっかり装いが変わり、床の間、欄間、釘隠し、まで往年の技術で再生され、唯一大きく変わったのは天井絵が天の川をシンボライズした観世水の天井画、森田りえ子画伯の描く世界、火防除けの意味を継承していた。
 床の水差しにはカキツバタ、葵祭のお軸が掛けられ、庭先の灯明台の屋根には菖蒲の束葉が上がってまさに「日本の習俗・邪気払い」を演出していた。
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 お料理も石寺、高山御両人とも大満足と、初夏の嵐山を満喫した。
 7月七夕の頃には、女将の還暦を祝しての茶会など開かれるとか、良き時代の良き習俗がそのままに生きた嵐山吉兆であった。
小倉山 峰のもみじ葉 心あらば今ひとたびの 御幸待たなむ … かって松下幸之助がもちし待幸亭の出典


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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