菊之助筋交いの宙乗り相勤め申し候

by

in

菊之助筋交いの宙乗り相勤め申し候
 江戸から明治にかけて、日本最長の物語が全90編に及ぶ「しらぬい譚(ものがたり)」だ。
 すべての体裁はページいっぱいに書かれた絵が主体で、空いたところに物語がかかれていた。今どきの劇画本のようなもので、平成のマンガ・ブームの江戸版といったところかもしれない。
 ロビーにはそこここに繭玉が飾られ、大神楽が演じられた目出度い国立劇場の初春狂言として「しらぬい譚」が取り上げられた。かって黙阿弥がまとめたしらぬい譚とは、ほとんど関係のない現代版新作しらぬい譚。いつもながら菊五郎劇団総力をあげての大スペクタクル、息つくひまもなく見せ場から見せ場の草双紙活写版だった。
 物語はいきなり大釣鐘の沈んでいる海の底に始まった。妖しい不知火が浮遊するシーンからして歌舞伎らしからぬでき、妖術をうけた若菜姫の筋交いの宙乗りも次々と空中から投じられる蜘蛛の糸のあやしさに劇場中が包まれる。
 ふたり照葉の場ではピコ太郎の登場に観客大爆笑かと思えば、屋台崩しに大怪描のたたり、蜘蛛の妖術と猫の祟りだけでもおそましいが、初春狂言らしく一気に楽しく魅せてくれた。
 消化不良の現代歌舞伎を見せられるとうんざりするが、菊五郎劇団の復活狂言は民衆の娯楽に徹していた江戸歌舞伎の醍醐味をふんだんに撒き散らし、観客を飽きさせない工夫が抜群なのだ。
 草双紙に発し、錦絵、双六、講談など当時のあらゆるメディアに人気を博し、大出来大当たりと評判をとつたしらぬい譚が今に生きていた。
 菊之助のひたむきな役者根性と、菊五郎劇団の努力が花開いた半蔵門の正月だつた。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ