菊之助子連れ披露宴の喜び

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 音羽屋にとって我が世の春だったに違いない。
 菊五郎さんは団菊祭惣五郎を引きずって、開宴前からの赤ら顔、菊之助さんも披露宴に先立っての記者会見で、長男和史君を抱き上げての親馬鹿ぶり、できちゃった婚がこれほど勲章になった婚儀も珍しい。
 新妻瓔子さんは、お世継ぎを産んですでに役割を果たしている。何から何まで上手くいった披露宴だった。
 安倍首相の「妻に降伏・家庭の幸福」ダジャレに始まった祝宴は、文楽の式三番鈴の段、二体の人形がこの日お祝に参じたすべての人を潔斎して盛り上げた。
 流石と思わせたのは、三代続いてのご贔屓を仲人にしたこと、普通たいていは著名人や社長と名のつく勧進元を仲人に依頼するのだが、音羽屋は役者と贔屓の関係を見据えてなかなかの選択だった。
 俳優祭さながらの若手後輩による「アナと雪の女王」やフラダンス、左団次さんの女装司会など、いかにも菊五郎劇団の和気藹々ぶりが、更に宴を盛りあげた。
 酔っ払いの菊五郎さんが、長女しのぶちゃんの長男真秀くんを連れ歩いたり、新郎新婦の長男和史くんを抱き歩いたり、嬉しさ100倍のご機嫌ぶりが印象にのこった。
 司会者から今日のスナップは、ツイッターやらブログには載せないで欲しい、という要請があったが、今朝パソコンを開いたら既に5000カットの写真が登録され、歯止めのきかない情報社会を今更のように感じた。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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