菅家令子さんの個展を見に、新潟へいってきた。
軽井沢から高崎で乗り換えて、新潟まで2時間余りで行ける。新幹線のおかげである。久しぶりの越後湯沢をマックスときの二階からみた。ユーミンの全盛期、あの苗場コンサートで盛り上がっていた雪の原宿の面影は見えない。車窓からは日本一の米どころ南魚沼のたわわな田園風景が広がる。ところどころの蓮田の表情も面白い。
菅家さんの作品は、いかにも三越といったバランスのとれた作品がならんでいた。彼女のもっている強烈なエロティシズムの女性たちは不在で、面白かったのは太陽と虹の円環を、金の宇宙に配したいくつかの作品、彼女の精神に内在する抽象性がシンプルに整理されて興味をそそった。
帰りには、鍋茶屋か行形亭でプチ贅沢とも思っていたが、時間があわずあきらめた。かって中原美紗緒さんの妹さんが、ブティックを開いていた万代橋のたもとのホテルオークラを横目に新潟駅に戻った。
二階建ての新幹線に初めて乗って愉しかったので、帰りは二階建ての下からの景色を楽しもうと乗車して驚いた。一階からは何も見えない。駅を通過するときだけ、ホームと目線が同じ高さなので、待つ人々の足の表情が拝めるが、あとは線路の塀に妨げられ、トンネルを走っているのと同じめくら旅の車窓だった。
景色を奪われた汽車の旅ほどつまらないものはない。同じ料金を払って人間は貨物の扱いなのだ。普段マックスときを利用している裏日本の人々の忍耐強さに、あらためて敬意をもった。
二階建てときの一階席は人様ならぬ貨物車なのだ。
菅家令子展へのちいさなトリップ
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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