英語学んで、常識学ばず

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 優しくて、頭が良くて、可愛くて、綺麗な、聖心女子大学二年生の益野友利香さんが、ルーマニア ブカレスト郊外で非業の死をとげた。
 クラヨバでボランティアで日本語を教える予定だった。単身ブカレスト空港に降り立ったとき、近寄ってきたV・ニコライ(26歳)を信用し、タクシーに二人で乗ったのが運の付き。反対方向に数キロ走った国道ぞいで車から降ろされ、暴行されたのち、首を絞められ死に至った。
 国際学生団体の活動を支援するボランティア派遣の勧進元、アイセック・ジャパンは、今回の惨事について記者会見に応じないどころか、なんの声明も発していない。民主化以来、ニセ警官の犯罪や両替え詐欺、スリ等が瀕発しているルーマニアの事情について、全く説明せずにこの世間知らずのお嬢さんを送り出したのだろうか。アイセックはだいたいが、サークル活動の乗りで運営されていると言われている。
 中東に限らずヨーロッパの空港では、出口にロマ(ジプシー)が屯して、カモが来るのを待ち構えている。親切を装って荷物を持ち、タクシーに案内してくれるのは、先ず犯罪者と思って間違いない。犯人のニコライは典型的なロマだったと報道されている。
 そんな常識も学ばず、観光英語だけでボランティア活動とは呆れる。 ヴァイオリンを趣味とする益野友利香さんは典型的な地方の素封家の娘さんなのだろう。東京の超一流大学に入り、流行りのボランティアに酔っていた。そうとしか考えられない。
 被災地のボランティアにしても、本当に有難かったのは自衛隊、自称ボランティアがいちばん迷惑だったと言われている。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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