いま中国は、次々と起こる不動産倒産、経済不況をかかえ、1980年代からの日本の状況に似たバブル崩壊の波に襲われている。
習近平は一帯一路をかかげグローバル・サウスを北京に集め、経済援助をかかげ大盤振舞を宣言しているが、ゼロコロナの失敗以来国民はかなりシラケて生活防衛にのりだしているようだ。
なかでもその傾向は若者に強く、もはや「爆買いよ、さようなら。街歩きよ、今日は。」 金を使って海を渡り、電気窯をかついでかえってくるのではなく、近くの古きを訪ねてレジャーを楽しもうという意識変化をおこしているそうだ。
その代表的コースが、北京、上海、南京などにある「胡同(フートン)歩き」だという。
フートンとは遠く元朝の頃からの裏町で、古い細い路地にある庶民の生活区域のことだが、元の都大路の建設時には幅6歩と定められていたものが、元・明・清と時のうつろいとともに狭くなり、最貧民の胡同はわずか40センチ程の路地になった処もある。がいずれも伝統的家屋建築として昔ながらの小吃(軽食堂)、共同トイレ有名な壁ナシ・トイレなどタイムスリップを楽しみながら街歩きができる。老北京的胡同地区、日本でいえば、大店の後ろの裏長屋探訪のようなものである。
モノ消費からコト消費へ。中国の若者たちは雇用不安からの防衛として週末の旅先を近くのフートン歩きに転換しつつある。日本では物価高騰で苦労を訴えながらも、ハワイを目指したり、美食を追っかけて遠くにでかけ、野球・バスケット・スケート・テニスと海外めざして日々を送っている。犯罪だけがジワリと近くに押し寄せる。
若者たちの胡同(フートン)めぐり
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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