007ショーン・コネリーの声で一躍人気者となった若山弦蔵さんが亡くなった。
「ラジオは自分に合っている。」とラジオを愛し、「何でもかんでも、面白おかしく伝えたがる近頃の風潮は、理解できない。」といっていた。目立ってなんぼの吉本の芸人達には理解できないだろう。声が勝負の声優でも、最近はバラエティに出たり、コマーシャルで媚びを売ったり、声のみに全力投球する役者はほとんど見かけない。
折しも民間AMラジオ44局の終りのニュースが流れた。令和10年秋までにFM局転換を目指すという。
AMラジオの終りは機材の老朽化以外に、スポンサーの減少を上げているが、必ずしもそれだけではない。
民放立ち上がりの頃のラジオは、スタッフもキャストもみな「音の世界」を愛していた。言葉ひとつ、効果ひとつ、音楽ひとつ、大事に大切に、扱って番組作りをしていた。優れた作家たちが競って脚本を書き、優れた作曲家が素晴らしい歌や劇伴音楽をかいた。音響効果だけのドラマにチャレンジしたスタッフもいた。
それほど音の世界を愛し、音の世界にチャレンジしていた。
TBSラジオが始まったとき、有楽町駅前の東日プラネタリウムの一隅で、ラジオドラマの収録をしたことがあった。文化放送も一番広いスタジオは、教会堂と兼用になっていた。中央の壁のボタンを押すと、壁が収納されて十字架が現われた。制作局も半分位は黒衣の尼さんがつとめていた。
ラジオの青春時代とひとことでかたずけるには惜しい。言葉の文学や音楽の世界にはまだまだ無限の可能性があるからだ。
若山弦蔵さんの死と、AMラジオの終焉が、奇しくも同時に伝えられたが、情報化社会の過剰が破綻したとき、ふたたび音の世界への再認識がくるだろうと、確信している。
若山弦蔵の死とAMラジオの終り
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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