苔が語る白拍子の悲しさ

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西芳寺苔庭.jpg
 まもなく梅雨時になる。
 梅雨が待たれるのは、霧の美しい風景と、苔がいちだんと深い魅力につつまれることだ。
 自身のなかのモス(苔)ツーリズムの聖地はというと、
 奥入瀬渓流、京都西芳寺、祇王寺、そして旧軽井沢の奥の別荘の庭にとどめをさす。
 信州の山から吹き下ろす湿り気の多い風と関東平野から吹き上げる風が軽井沢の森に美しい苔を作り出す。ままイノシシなどが苔のしたに隠れているミミズなど引っ張り出し、苔庭を荒らした景色にでくわすが、実にがっかりする。イノシシに苔庭の美しさなど判る筈もなく、致し方なしとするほかないが彼らの所業の下品さに悲しい思いが膨らむ。
 苔の花が咲いたころ、西芳寺のご本堂で雨宿りをさせていただいたことがある。初めての京都旅行だった。
 雨が上がったあと、木漏れ日に明るさをました苔庭の美しさをいまでもはっきりと覚えている。まるで阿弥陀様が降り立ったような不思議な感興にとらわれた。足利義満からスティーブジョブスまでみなこの寺の苔に魅せられて通ったといわれ、この空気から金閣寺が生まれた理由もなんとなく体感できたのだ。
 遠くから訪れる人は苔の寺といえば西芳寺というが、都のひとは祇王寺とこたえる。
 平清盛と祇王妓女のものがたりが、身近に思われるからなのか。
 祇王寺の苔に白拍子の悲しさ、仏御前の孤独を感じさせられるのか、苔むすさまに女性の無常観が浮かぶのかもしれない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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