芸能界の世襲制度

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 松田聖子・SAYAKA/さんま・IMARU/北野武・井子/梅宮辰夫・アンナ/中村雅俊・俊太/横山やすし・木村一八…流行りものの世襲はあまり上手くいっていない。 子供に甘えがあると同時に親馬鹿のサンプルのようなものだ。まれに山村紅葉のごとく誰が見ても大根役者にもかかわらず母親山村美沙の盲愛のおかげで、あたしの原作を使いたければ娘もコミとばかりに永年ミステリーに出続け、いまや殺しのドラマにはなくてはならない風景になつてしまった。役者としての存在ではなく、三流の
出道具として日本中があきらめている。
 梨園となるとだいぶ事情が違う。団十郎・海老蔵・ぼたん/菊五郎・菊之助・しのぶ/藤十郎・翫雀・扇雀/勘三郎・勘太郎・七之助…もはや家業としての役者である。幼いときから芸事に励み襲名を重ねて本物になるので、日本の伝統芸能の在り様として存在する。
 安易に登場するタレント親子を認め、ヤンヤと囃す心情。政治家の世襲は本当に困ったものだが、劇場型衆愚政治の地下深く芸能も権力もつながつているのだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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