芸者小夏と小夏

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 舟橋聖一という小説家らしからぬ不思議な名前の作家に注目があつまっていた。
 純文学よりは風俗小説家に近く、戦後まもない文壇にあって、東大出のそこはかとないエロティシズムにみちた作家だった。 彼の作品を並べてみると、匂い立つようなその傾向がより明確になる。
 雪夫人絵図/女の手/花の生涯/好きな女の胸飾り/寝顔/ある女の遠景/白い魔魚/芸者小夏……等など。
 小説新潮に連載された芸者小夏は異常な人気を呼び、あくる1954年映画化された。新人スターとして注目されていた岡田茉莉子を芸者小夏に、森繁久弥、志村喬、杉村春子ら錚々たる脇役陣で固めたB級作品だったが、観客動員は凄かった。日劇の巨大な壁面に「芸者小夏」とかかれたフンドシがさげられた。戦後始めて芸者の名前として、小夏が日本中に認知された。
 この夏、どうした訳か土佐の名物「小夏」がダブって贈られてきた。小夏の第一は前進座の文芸部から星野演出事務所に転じた徳増君から、彼の故郷は四国の室戸岬でリタイアしたのち室戸で農業を、東京で思索の日々を送っている。小夏の第二は先代の松緑さん、つまり紀尾井町のお嬢さんからだった。
 どちらの小夏も小さいほどに味の濃い見事なSサイズ、甘すぎず酸っぱすぎず甘皮と果汁たっぷりの果肉の組み合わせが絶妙なバランスを保ち、長いあいだよそ者に食べさせたくなかった土佐の心意気がつまっている。アメーラ・トマトもスーパー・バナナも結構だが、この国にはこうした見事な伝統的果物があつた、ということを改めて認識した。小さい玉のほうが価値があるという処が、なんとも嬉しい。 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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