芸人たちのテレビ中毒

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 バブルがはじけTV局貧乏の始まりとともに増殖したのが、とりあえず金のかからないお笑いとバラェティ番組だ。21世紀の掛け声とともにましになるかと思ったのも束の間、リーマン・ショックやらドバイ・ショックと大貧乏の波で、安タレントが集まってゲームをしたり、ただ遊んでいるだけのバラェティ、さらに宴会芸もどきのネタ見せや1発屋芸人の馬鹿騒ぎ、テレビもいよいよご臨終かと思われる昨今だ。いまやテレビは、お笑いと殺人と通販がせめぎあって、三流安直メディアの見本になってしまった。それでもテレビに出たい中毒患者は尽きない。お笑い志望はここ3年で5倍増、一流大学をでてお笑い芸人をめざすというオバカ、名門女子大からキャバクラ嬢になりたい女の子と双璧なのだ。万が一芸人になれても、藤原紀香や安室奈美恵に触れるのは夢のまた夢、テレビは薄情な女だと思うべし、期待の新人もたちまちに裏切られて棄てられる。テレビ中毒になったが最後、金もないので衣裳も作れず、いろいろ考えたすえ裸になって水着一丁、もっこりを晒して恥ずかしく醜いカラダで1発屋芸人の宿命が待っている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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