花火大会のナンセンス

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 暗黒のコロナ4年の夏空を経て、ようやく異常に暑い夏がやってきた。
 全国のあちこちで花火大会が復活している。楽しい夏空の復活は、外に自由に出られなかったマスク生活へのご褒美のようでもあり、あらためて日本の夏を味あわせてくれる。
 が、この四年の間に世情はだいぶ変わってしまった。
 花火大会が完全にイベント化してしまったことだ。当たり前のごとくに経費があがったから対応しなければ、という経済の奴隷となってしまった。
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 全国花火大会のあちこちに有料席が当たり前となった。なかには塀をつくって囲い込み、一般市民には見えなくしているとんでもない花火大会まである。そもそもの花火の意味は何処かへとんでいってしまい、目先の採算と事故防止にかこつけた興行になってしまった。100万円の特別席、10万のファミリー席、5万円のカップル席、3万円のベット席、……日本国中ジャニーズのコンサートや、AKBの握手会のようなとんでもない功利主義に走っている。この現実に声をあげる政治家も賢人もいないのが現実だ。
 そもそも盆行事としての祖先供養やら、祖霊のためのお迎えであった花火への理解を失った親世代や教育に問題ありだが、なんでもかんでも経済第一で、祭りをみるのに100万円の席を設けて、採算のためとうそぶくのは、田舎の興行師のやりくちであり、広告代理店の思考回路だ。
 日本人の暮しのなかの信仰として、祖霊への供養として今盆行事としてルネッサンスしなければ、日本人は坂道を転げ落ちていくだろう。
 こんなに愚かな国民ではなかったはずだと信じたい。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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