二月という月は、制服業者にとって最後の追い込み月になる。ほとんどの制服は前年の秋には決定しているので、あとは個人に対して周辺付属のグッズ消費促進を企てるのみだ。
自衛隊、警察、消防などの制服は、何時何処で誰がセレクトしているのか、知るよしもないが、学生服となると案外市民の近いところで選別が行われる。泰明小のアルマーニ学生服はどこかのデパートでうられるのかもしれないが、私学の服についてはあらかた近所に学校指定の制服やが存在した。
制服販売の服やは何代か続いているような無気力な店が多かった。それでも新学期が近ずくと、店頭に○○小学校御用、○○女子中学校御用、などの書初めのような白紙がはためく。普段やる気のない店が意味もなく活気ずいてみえた。
新しい制服は未知の世界へのパスポートのようなものだから、母親に連れられて採寸にいく本人は、ドキドキしていた。店のたたずまいを読み取る冷静さはまったくなく、間もなく始まる新しい毎日への期待とごちゃまぜになった興奮の時間だったような気がした。
巷の話題に制服の佐川男子など登場するが、野郎たちの興味はもっぱら看護婦さんだったり、キャビン・アテンダントにむいていた。
なかには世界のエア・ラインのCAの制服に異常な関心があり、とくとくと画用紙に制服デッサンをこなすオバカもいた。取り囲んでそのデッサンの行方を見つめ、尤もらしく論評を加えていた仲間たちも結構オバカな青春だったといえる。
制服として圧倒的なパワーをひめているのは、陸、海、空、自衛隊三軍の夏の第2種礼装にとどめをさす。
となりに白無垢の打掛がこようが、胸までだした白のウェデイング・ドレスがこようが、絶対に負けない。
蝶ネクタイにカマーバンドを締め、制帽をいただいたらまず一級品の日本男子が完成する。
通常幹部自衛官と准尉だけに許される礼装が、自分の結婚式に限って着ることを許される。自衛隊の粋なハカライなのだ。
花嫁を圧倒する自衛官第二種礼装
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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