名人湯木貞一が造り上げた日本の名物、いつか吉兆で彼女と至福の食事をしたい…夢はいつか現実となり、気がついたらウンチクをかたる年齢を迎えていた。御所に発する有職料理、武家作法の本膳料理、町衆の会席料理にたいして、茶懐石に本因をもとめる吉兆料理は、日本の料理を代表する顔である。いくつかある吉兆のなかでも、嵐山吉兆にはひとしおの思いがある。軽井沢の星のやには嵐山から板長がきているし、今はニューヨークで腕をふるっている西山君は軽井沢のそばの名店東間にいて、吉兆で修行した味を別荘族に饗していた。この春、嵐山吉兆の三代目徳岡邦夫さんは、不況の波に対する答として花吉兆の改修を断行した。南座付設のようなイメージを断ち切り、新しい時代のライフスタイルに呼応した椅子の個室を多く用意、ワモダンの食事処への衣替えを試みた。左官や透明な紙の芸術的なインテリアを多用しているが、やっぱり極上は創始者による三十六歌仙の歌と絵による額装のインテリアだった。今時のプライスにたいして料理をどう組み立てるか、吉兆らしい演出と味を失うことなく献立するのは大変な難問と想像される。祈るご成功を。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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