花の美瑛、富良野に行ってきた。北海道の大地に育った干草のロールをイメージしていったのだが、干草ロールはみな白や黒のビニールに包まれ農場の片隅に積み上げられ、草原に点在する干草のロールはなくなっていた。干草達は発酵の段階に入ってしまっていた。
花は最盛期だった。というより花と中国人が最盛期だった。空港から美瑛ハイヤーで回ったのだが、どこへ行っても、ゆったりと花畑を見ながら走る高級レンタカーに悩まされた。
夏の軽井沢では、ママの運転するベンツを避けて走るのだが、そのママベンツを上回る傍若無人ぶり、速度を初め、交通法規をまったく知らない中国ママが、なんのためらいもなく高級レンタカーで堂々と走るのだ。
赤信号で立ち止まっているハイヤーの横を、悠遊と抜き去っていく。信号は赤、プロの運転手がハラハラして、アッ、アブナイ! と言葉を発するほどだ。中国の観光客にレンタカーを貸しては危ない。走る凶器そのものだ。あの中国ママに比べたら、ポケモンGOなど可愛いものだ。
若者たちは、レンタサイクルだ。初めての電動機付き自転車なのか、恋人同士これまた傍若無人に走り回っている。日本人は遠慮して道を譲る。まさに中国の北海道だった。
彼らが知る筈もないケンとメリーの木の前や、セブンスターの木のまえで、自撮棒が活躍し、四季彩の丘のノロッコも中国語があふれていた。花畑の真ん中では、純白のウェディング・ドレスとタキシードのカップルがポーズを決めている。大陸からの結婚式用前撮りである。
こんなに大勢の客がきても美瑛、富良野の農場はみな入場料無料という点が、アッパレだ。1000円、1500円でも通用するが、どこの農場も入場無料にして、関連事業で経費を捻出している。
ナンバーワンはやはり富良野ファーム富田の彩りの畑。ご存じカスミソウの白を中心に、赤いポピー、ピンクのコマチソウ、ラベンダーの紫などが、ダイナミックな花の帯を創りだして見事だった。早朝農場のスタッフがまだ出勤していないにもかかわらず、花人の畑には中国人が溢れて大撮影会の様相を呈していたのには、いささか感動もした。花のもつ力の大きさに圧倒された。
戦後ハコモノひとつ作らずに、花と木だけで町ずくりをしてきた努力が、見事に実を結んで北海道屈指の観光地に育った。
花の美瑛・富良野と中国人
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プロフィール

星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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