芦屋育ちのお嬢さんにはいくつかの節目があった。
聡明さから、神戸女学院ではなく甲南の女子中から高校に進んだ。そして関学の社会学部からエジプトへ飛び、恐らく当時は誰も留学して居なかったであろうカイロ・アメリカン大学からカイロ大学へ入る。留学ばやりの今ではなんでもないことかもしれないが、当時の世界情勢からエジプトのカイロ大学へ行く決断は凄い。もとは芦屋育ちのお嬢さんなのだ。並々ならぬ意志の強さ、強直な内面性と世界を見つめる眼の凄さを感じる。
カイロ時代月並みな恋に落ち、現地の学生と結婚するもいち早く離婚、情を断ち切って自立した根性も見上げたものだ。現地では習い覚えた言語を武器に、コーディネーターとインタービュアーを務め、PLOのアラファト議長、リビアのカダフィー等、時代の英雄との会談をセツトし、外務官僚を悔しがらせた。
インターナショナルな活動をする日本の若きマドンナとして、ジャーナリズムに登場した小池百合子の第一期。
そして帰国後の第二期。テレビタレントもしくは司会者としての小池百合子。ワールドサテライト・ビジネスの司会から経済と社会の動向を学び、民放のいくつかのワイドショウを渡り歩いて、テレビの実態と技術を盗んだ。
そして彼女の第三期は、日本新党を立ち上げた細川護煕との出会いに始まる。このお殿様とのあいだに彼女は自分の育った環境に通じるクラス意識をかんじたにちがいない。まだ初々しかった政治への関心は、小沢一郎との出会いによって決定的な政治家への欲望に育って行った。彼女の欲望をいっきに花咲かせたのは、かの横紙破りの小泉純一郎だった。小泉の落下傘部隊として東京に舞い降りたのだ。大物喰いとか、権力と寝る女とか、コイズミの女とかあらゆる毀誉褒貶をのりこえ、2016年8月2日、遂に東京都庁のまえに、初めての女性都知事として登場した。
小池百合子第4期の始りだ。 石原伸晃自民党都連会長、内田茂幹事長、ほか三役を辞任に追い込み、都自民党の伏魔殿退治がはじまった。オリンピック担当大臣丸川珠代、オリンピック組織委員会会長森喜朗を相手に、主催都市としての東京のイニシュアティブを執れるか、どうか、小池百合子の最終章が始まった。
芦屋から東京へ、小池百合子
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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