自衛隊は便利屋ではない。

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大雪関越.jpg
 自衛隊に対する日本人の意識がオカシイ。
 国防の第一線で、国を守る、命をかけて国土を守るのが自衛隊の本務なのだ。
 台風で道が崩れた……自衛隊。土手が切れて水がでた……自衛隊。コロナで看護師が足りない…自衛隊。大雪が降った……自衛隊。さらにあきれたことに関越道の大雪では、自衛隊は食料くばりから携帯トイレくばりまでやっていた。
 雪国では何時あるかもしれない大雪に備え、役場は地元の建設業者とあらかじめの契約をかわし、重機や人員を確保している。自分達の努力なしに安易に「自衛隊」をよぶのは 如何なものか。
 渋滞に巻き込まれた2000台の車にはすくなくとも 4000人は乗っていただろう。半分は女子供、それに老人としても2000人位の健康な男達がいたと推察できる。その2000人は車内で暖房にまみれ、いつになったら動くんだと、なにもしないで無為にすごしていたとすれば、悲しくなる。自衛隊は先頭の大雪を搬出し、止まった車の前後の除雪は、自分達でやればよかったのではないか。食料やペットボトルの水ぐらいは高速道会社の職員総動員でやれば解決できたのではなかったか。
 重ねて言うが自衛隊は便利屋ではない。 現在のこの国がどれほど危険にさらされているか、少し冷静にかんがえれば判ることだ。
 隣国の拡張政策はとどまるところを知らず、明日にでも尖閣に上陸されても不思議ではない。国土は危機をかかえている。こうした現実に眼をむけず国防の要である自衛隊を便利屋のごとくに扱うのは、日本人の危機意識の欠落と自助能力の欠陥そのものだ。
 自衛隊を頼る前に、自分たちでやれることがあったのではないだろうか。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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