自虐史観から自虐コマーシャルへ

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自虐史観から自虐コマーシャルへ 自虐史観から自虐コマーシャルへ
 「飽きた? 面倒くさい…? あの子と別れてなんて言ってないじゃん。
                      ……  私ともメールしてよ。」
 文枝の20年浮気噺の前に、NTTドコモのコマーシャルは、あえなく消えてしまった。
 流行の自虐ネタ・コマーシャルは女性の理解を得るのはなかなか難しい。にもかかわらず広告効果はリアルネタの40倍といわれ、日本全国に自虐ネタのパブリシティが、じわりと広がっている。
 「47位の県 上等でございます」「茨城がなくなったら レンコン・ショックは避けられない。」
 県民に対してイバラキの観光地をリサーチしたところ、第一位は「わからない、不明」だったそうだ。
 鹿島神宮、水戸納豆、あんこう鍋、そう聞いただけでも充分魅力的だが、東日本随一のあの豪壮な袋田の滝、霞ヶ浦日本一の帆引き船、そしてひたち海浜公園のネモフィラの最盛期、と茨城県は魅力にとんだ素晴らしい県である。
 「鳥取は島根の右側です。」「妖怪が多いのが鳥取です。神様が多いのが島根です」
 島根と鳥取の見分け方には悲しさがにじんでいる。
 「島根は日本の領土です」にいたっては、事実上韓国に占領されている竹島の叫びが、そのまま乗り移っているスーパーな自虐ポスターだ。
 「修学旅行先になってみたい」という切実な願いは、コンビニの無い村の子供たちの叫び、「トヨタと味噌と知多娘」の愛知県は贅沢のそしりを免れない。
 朝日新聞の自虐史観は永らくこの国の世論を引っ張ったが、慰安婦問題をきっかけにようやく権威を失い、「凄ーいですね視察団」などのニホン見直し活動により、すこし右寄りに矯正されつつある。
 「イタリア人も認めなかったパスタ 6月29日、気にせず、新発売!
 「なめんなよ、イバラキ県」なのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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