ストリート・ビジネスの一番はなんといっても、観光客目当てのキャッチ・セールスだ。
ひところやたら眼についたロマ達の、ユスリたかりは、ロマの国外追放のせいかだいぶ沈静化した。
路上のキャッチ・セールは圧倒的に黒人たちが多い。アフリカ系の黒人は、アメリカで見る黒人たちよりもはるかにおとなしめだが、それでも身体の小さい東洋人にとっては、かなりの迫力がある。モンマルトルの丘でも、凱旋門の周りでも、コンコルドの広場でも、ルーブルの庭でも、勿論エッフェル塔の下でも、観光客の来るところには必ず10人、15人と散らばってキャッチ・セールスに励んでいる。
パリ警察も見逃す筈はなく、30分ごと、60分ごとには見回りをして追い払っているが、蜘蛛の子を散らすように逃げた彼らは、ポリスが居なくなると再びどこからか湧いたように集まってくる。
そのキャッチ・セールスの取扱い商品が、ここ一年で著しく変わった。
何の変哲もない鋳型に流し込んだベストセラーのエッフェル塔の旗色が悪くなってきた。エッフェル塔もそれなりの工夫はあり、色彩ゆたかなインテリア風だったり、電飾つきの嬉しいもの等色々なのだが、それよりも良く売れる新商品として急にのしてきたのが、スマホ用の自撮り棒だ。
彼等は、20本、30本と自撮り棒を抱えて売り歩いている。10ユーロから100ユーロぐらいまで、各種取り揃えて売りつけている。カモはもっぱら中国人。
団体できた中国人がこのキャッチセールスに群がって、自撮り棒を買っている。
買ったそばから自撮り棒のさきにスマホを付け、二人の顔がひとつになって、後ろにはかの有名な凱旋門、故郷に帰って土産話に華をそえる自撮り棒にご苦労様である。
いま食べたものをやたら撮りたがる日本人に較べ、中国人は景色好き、いずれにしても情報化時代に付きものの自己顕示病なのだろう。
自撮り棒はキャッチ・セールスの新商品
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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