能登半島地震・初期報道のオソマツ

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 年末の安倍派つぶし、さらにNHK紅白歌合戦も代々木からソールに引っ越したかと思われるKポップだらけのテレビに引き続き、年初の能登半島大地震、この国は不幸の神様に憑りつかれているようだ。
 能登半島の大地震には驚いたが、冷静に考えればこの付近には多くの断層があり、いつ地震が起きても不思議はないといわれてきた。
能登沖地震.jpg ビル倒壊.jpg
 それより驚いたのは今回の地震津波火災に対するメディアの初期報道のオソマツぶりだった。
 二日後には新聞、テレビには災害のリアルが報じられるようになったが、初期に現場に派遣されたNHKのお粗末ぶりに飽きれた。
 半島の突端にある輪島の町に女子レポーター、アナウンサーだったかもしれないが、とにかく輪島朝市通りちかくに彼女はいた。
 「煙が上がっています!! 煙が上がっています!」連呼する彼女の声に喚起されテレビの画面をみた。近所の倒壊したブロック塀の説明に交え、
「あいかわらず煙があがっています」と普通にしゃべっている。煙は黄色い反射から完全に真っ赤な反射に変わっている。バカが見ても火災が起きたとみえるのだが、アナウンサーは相変わらず「煙が上がってます」火災が発生したとは、一言も発しない。 彼女の脳みそには、あの由緒ある輪島の朝市通りが焼け野原になってしまうという想像力が全くなかったのだ。というより輪島の町のことを何も知らずに、現場レポーターとして派遣されたのかもしれない。
 道路寸断により消防車が駆けつけることが出来ず、初期消火ができず今止めなかったら大変なことになる、そんなことは夢にも思わない能天気な災害レポートだった。
輪島大火災.jpg 道路寸断24.jpg
 道路寸断にかんする報道もイイカゲンそのものだった。出川がバイクで走るのには、一生懸命ドローンを飛ばしてみせるが、輪島にたどれるわずか2本の道の状態をレポートしなかった。災害よりバラェティに気が向いているお粗末ぶり。2、3日たってから道路状況はもっともらしく報道しているが、地震が起きた時の即応性がまったくない。ドローンはイベントやバラェティのためにあるのか、理解に苦しむ。
 自衛隊は即座に海から行くしかないと救援物資の搬送を海上にたくしたが、テレビ局の報道姿勢のイイカゲンぶりがあぶりだされた能登半島大地震輪島の大火であつた。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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