肉食の女神ジョルジュ・サンド

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 ショパンの曲を聴くたびに、ジョルジュ・サンドを思わずにいられない。
「感じの悪い女だ。あれでも本当に女だろうか。」グレーの帽子をかぶり、ウールのタイを結び、黒のマント、黒のブーツをはいて、上から目線で男の品定めをするサンドにショパンは嫌悪感を催したそうだ。
 ディドバン男爵と結婚し、二人の子供をもうけるも、イマジネーションにとぼしく退屈な男爵に愛想がつきパリに出奔、社交界で手当たり次第に男漁りの日々を送った。
 詩人のアルフレッド・ミュッセ、文学者のスタンダール、フロベール、ドストエフスキー、バルザック、医者のパジェロ、音楽家のフランツ・リストと彼女に魅了された作家、芸術家は枚挙にいとまがない。
 サンドの魅力に溺れたリストに困りきったリスト夫人は、サンドの興味を夫以外にむけようと、彼女にショパンを紹介したとさえ言われている。
 繊細で一途なショパンをまえに、サンドはいままでにない性的欲求を感じた。当世風にいえば、まさに植物男と肉食女の組み合わせだった。身体の弱いショパンはたちまちに病を得、サンドは彼をスペイン・バルセロナ沖に浮かぶマジョルカ島へいざなつた。雨の多いマジョルカ島で生まれたのが、かの名曲雨だれの前奏曲といわれている。
 その後、サンドのノアンの別荘ですごすようになったショパンは、バラード、スケルツォ、ノクターン、マズルカ、ポロネーズと精力的に曲をかいたが、そのいずれもが、次々と男たちを渡り歩くサンドへの絶望的な愛の告白だったといわれている。
 鍵盤の魔術師といわれたショパンの手と、寄り添ったサンドの手はピガールにほど近いパリロマン派博物館に残され、ピアノに向かうショパンに天使のごとく寄りそうサンドの等身像はモンソー公園にある。リュクサンブール公園には自由の女神とともにサンドの凛とした石像がある。いまでもジョルジュ・サンドはパリジェンヌに圧倒的な人気をもつている。 


コメント

1件のフィードバック

  1.  俗説によれば、ジョルジュ・サンドは、ショパンの演奏するピアノ下に潜り込んで、ショパンを口説いたと聞きます!
     偶然ですが、知人の肉食女史は、とうしても東京で暮らしたく、姉の嫁ぎ先に下宿するも、寝る場所がなくグランドピアノの下にふとんをしいて暮らしながら、彼氏を捜したそうです。
     エンターティナーのリストに比べ、食べられてしますショパンの事例、先生の話には婚活のヒントがすごく隠されている感じがします。
     婚活中の女性は是非このブログを読むべきと思ってます。
     本日友人の星野氏より、コメントの批評をいただきました!
    昨夜偶然にも、自分のタイムラインにブログを紹介してすぐの話なので、嬉しかったです。

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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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