羽田空港の国際化が完成したと浮かれている。空港ビルには江戸小路があり、昔の家並のお店がずらり、とんかつ、うどん、らーめん、おでん、甘味にすし、そして和食が待っている。なぁーんだそんな程度なら羽田に行かなくともうちの駅前にあるさ。とおつしゃらないでいただきたい。空港の社長さんや役人たちにとっては、日本が誇る素晴らしい食堂街が出来たと信じていられるようだし、更に自慢のショツピング・アーケードも、エルメス、グツチ、カルティエ、ティファニー、ブルガリ、シャネル、オメガ、ロレックス、ハワイとも香港とも全く同じショップ構成で、いかにも全体主義的画一マーケツト、まつたく個性がないというところが、なんとも見事なお仕事になっている。すべてが同じではあまりに芸がないと考えたのか、下着のワコールがあつた。オタクの喜ぶ模型のサーキツトもあった。
出発ロビーのデザインは、5年前にできた名古屋セントレアにそっくり、国際線と国内線を結ぶトンネルの狭さは如何にも田舎の空港なみで、口にする国際ハブ空港にはほど遠い。ヒト、モノ、カネを呼び込む原動力として機能させると豪語するなら最大の問題点は世界一高い空港着陸料、韓国のインチョン、シンガポール、香港に比べて倍も3倍も高い着陸料では、この世知辛いときに世界の飛行機が飛んでくる筈もない。子供でもわかる理屈になぜ抜本的な手が打てないのか不思議このうえない。燃料税にいたってはアメリカの20倍の高さ、観光立国として平成32年までに2500万人の外国観光客を目的にするなら、まず玄関である空港整備について、公共事業の0.8パーセント、港湾の半分以下しか使わないという現実に政府はなんと答えるのか。逆仕分けが必要なのは民主党の航空政策ではなかろうか。
羽田国際空港のお粗末。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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