美魔女のつもりのオバサン達

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 山本文朗、加藤茶、ラサール石井、堺正章、市村正親、高橋ジョージ……輝ける中老年の星、いずれも若い女性を得て、充足の日々を送っている。と今のところ見られいるシアワセの男たちである。
 若い女性たちが心優しく寛大になったのか、それとも隠された物欲、金銭欲なのか不明だが、いずれ数年の暮らしの後に結果が暴露されるだろう。
 そうした高年齢志向に掉さし、若年志向の女性たちが堰を伐ったように世間を賑わせている。これまでの年齢感覚を足蹴に、若作りとアンチエイジングに励み、年甲斐もなくミニスカートをはき、あるいはショートパンツからナマ足を見せ、果てはヌードを曝すなど、やりたい放題のバブル世代の女性たちだ。
 マスコミは「美魔女」とおだてる。年増女の若作りは、いま美魔女への道にかわった。
 オバサンが美しいのは大歓迎だが、朝からしわ取りローラー、リンパマッサージ、お腹だぶつき肉取り器、履くだけで痩せるパンツ、なんとかストレッチ、とテレビに氾濫するアンチエイジング産業には茫然とする。
 商売人はアンチエイジングと謳えば、2000円のクリームが100000円のクリームに化ける、そこに消費欲旺盛な物欲世代があると気がついた。 少女時代は生まれもった資質のみで諦めていたが、いや待てお金と努力次第で美しくなれると、美魔女たちはオリンピック精神のごとくに興奮したようです。
 いくつになっても若い娘にもてる現役の男達に対し、私たちだって悪あがきを超えてジャニーズや韓流スターにモテるわ、とばかり美しい人はさらに美しく、そうでない人もそれなりに、お金次第とイタいのです。
 
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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