美女軍団とテレビ朝日

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美女軍団とテレビ朝日
 人間から思考力を奪い、馬鹿をつくるには「スポーツ」と「セックス」にまさるものはない。と堂々と発言したのは、第二次世界大戦で日本を占領した連合軍のマッカーサー司令部だった。
 素直な日本人は天皇制さえ守ってくれるのならと、唯々諾々とそれに従い、スポーツ振興とスポーツ・ギャンブルに邁進し、映画も舞台も義理人情を排し、性表現に意を尽くした。
 あれから70年、戦争に負けるということはこういうことなんだ、と最近しみじみと感じる。
 平昌オリンピツクは見事に北朝鮮に乗っ取られた。ネットでは平壤オリンピツクと呼ばれている。
 美女管弦楽団に興奮し、美女応援団に異常な興味を示す。北は見事にマッカーサー司令部を学んでいた。
 テレビ朝日のレポーターの軽薄ぶりが話題になっている。
「美しいですね」というフィリップを手にしたレポーターは、美女応援団に近ずき絶叫、「アッ、こっちを向いてくれました!」「アッ、笑ってくれました!」「笑ってくれました」  さすがネット族もその軽薄ぶりに唖然とし、いっせいに攻撃した。
 テレ朝の馬鹿レポーター、日本人を何百人も拉致されている、ということを考えろ! お前は阿呆だ。ディレクターは大馬鹿だ。プロデューサーは何を考えている。! スポーツ・レポーターの馬鹿ぶりはテレビメディア全体の信用を落とし、今更のようにメディア・リテラシーの重要性を喚起させてくれた。
 ようやく最近はメダル、メダルとそちらに関心が移ったようだが、オリンピック始まり当初の話題は美女軍団だらけで、日本の地上波テレビは北朝鮮の宣伝隊に成り下がっていた。メディアとしてのプライドも品性もまったくなく、ましてや日本人の悲劇についての思考力ゼロという体たらくだ。
 敗戦国民のたどる愚かさを、テレビ朝日のレポーターは十二分に知らせてくれた。情けないではかたずけられないテレビのテイタラク、それが平昌オリンピックだった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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