① すこぶるつきの美人たること
② 未婚者たること
③ 相当の生活を営んでいる家庭の者たること
1929年2月6日付けの読売新聞に出された文部省女子職員の採用方針というから驚く。
職員の採用に堂々と「美人」と謳っているあたり、戦前の日本人の意識が読めて興味深い。今ならたちまちに炎上して批判の的になること必定だ。
戦前の新聞で、美人という形容詞が多くつかわれたのは、美人女優であった。ブス女優とはいわなかったし、映画女優はあらかた美人のついた女優であったというのは至極当たり前のこと。
ついで美人が多用されたのは、犯罪被害者と水死体であったといわれる。美人死体とか、美人水死体というのはかなりカストリ雑誌にふさわしい呼び方だが、読者の興味をひくある種のテクニックだったのだろう。当時の記者仲間のジョークに「首ナシ美人死体」というのがあったといわれている。
美人が死ぬとニュースになるが、ブスが死んでもニュースにならない、というのもあった。
夜の世界では圧倒的に美人ママと美人ホステス、昼間は美人秘書というのが跋扈していた。
戦後急速に増えたのは、美人タレント、美人モデル、職場では美人と言う言い方はセクハラにあたるというので消滅の危機を迎えた。
その代わりと言ってはなんだが、急速に勢力範囲をひろげたのが、美人アナと美人妻。美人アナはテレビ局の顔となり、美人妻はAVの世界で、制作会社の命運を左右するキーワードになっている。
美人妻のまわりには、情けない夫、高利貸し、保険の御用聞き、不登校の高校生、困った姑など万華鏡のように男どもが絡んでAV環境を盛り上げている。
アラフォーの美人妻には、天井知らずの市場価値があるとすらいわれている。
美人のいま・むかし
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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