美しすぎるリケジョ

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 STAP細胞という名前とともに、美しすぎるリケジョが登場した。
 この研究は生物界の常識を覆したノーベル賞ものと、論評している向きもある。理化学研究所のユニットリーダーとして、テレビ・カメラの前で説明している彼女を見て、初めは助手の前座と思ったが、よくよく聞くうちに本人と判り、こんな美しく可愛い人が研究者とは、セクハラよ、と怒られそうな印象を持った。
 この種の研究発表はまず融通の効かない学者か、一丁上りの名誉教授の口からというケースが多く、経験のなかにアラサーの美人学者という数値が無かったため、衝撃的な嬉しさに襲われたのだ。
 この処、サッカーの本田がどうしたとか、田中将大が何億とか、スポーツの金の話ばかりにうんざりした毎日だった。そこに待望の理系ニュースが飛び込み、梅雨時の晴れ間のような爽やかさを味わった。
 美しすぎる議員とか、美しすぎる医者とか、いろいろな処に美しすぎる人々が登場するが、小保方晴子さんは、まさに理系の代表選手、願わくばあの初々しさを失うことなく、再びマイクを手に、人間へのSTAP細胞移植成功ニュースを聞きたい。
 しっかりした彼女を見れば、メディアの汚れた手に迎合することはまず考えられないが、それでもこの世は落とし穴だらけ、からめ手からヴィヴィアン・ウエストウッドなどに責められると、案外もろいのではと余計な心配をしている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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