縁切りの金比羅さま

by

in

 日本珍スポット100景の壱に、安井金比羅宮というのがある。
 祇園町の南、建仁寺の東に位置するあまり有名でない神社だが、実はとても怖いパワースポットで、京都に沢山ある寺社のなかでも、ここのご利益は唯壱無二で、大声を出さず一人静かに通う女性が多い。
 一緒になるのは簡単だが、別れるのは大変だとよく言われる。別れるとなると知的な女なら案外スムースだが、少しでも情に掉さす気のある女性だと一大事となる。怨念が深く話し合うにしろ、裁判に委ねるにしろ、とてつもなく時間がかかり、そのうえ経費も半端ない。経験者のひとりごとだ。
 ちかごろでは、男の子がやさしくなった分、優柔不断は男性側にあり、困り果てた女性が多いそうだ。
 そこでここの神様の出番なのだが、テーマは「縁切り」如何に悪縁を断ち切るか。幅三メートル、高さ1メートル半の巨石の真ん中に直径50センチ程の穴が開いている。縁切り石という。
 どうしてもあいつと別れたい。賭け事と縁を切りたい。酒、たばこと縁切りにしたい。判っちゃいるけど止められない、といった軽度の縁切りからなかには、彼と元カノとの悪縁がきれますように、DVの男から逃れたいという切実なのもある。舅との肉体関係が切れますようにと幼いカナクギ流のリアルな願いにはぞっとした。
 白い御札に書かれた縁切り願いを縁切り石のうえに貼りつける。石は真っ白な狒々のように縁切りの祈りをしょって境内にある。縁切り願いの御札をはった女性は、石の中央の穴にアタマから入って反対側に抜けなければならない。
 願掛けといえば、高齢者が多いと思ったら大違いで、若いショートパンツの女の子が穴抜けしている光景に、情欲一辺倒の困った世相を見た。祇園町の隣の安井の金比羅宮は本当に恐わーいオヤシロなのだ。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ