総ての遺産をヴィオレッタの花のために

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 ここからパリが始まったといわれる、セーヌの中州…シテ。 シテには、警視庁がある。裁判所がある。病院がある。ノートルダム大聖堂がある。そしてなによりも牢獄、マリー・アントワネットがギロチン台へ送られるまで、入れられていた独房がいまでもそのままに残されている。
 そうした忌まわしいシテのひと隅に月曜日から土曜日まで開かれている花市がある。マドレーヌなどにも花市はあるが、このシテの花市のほうが好きだ。
 数十メートルのアーケードが三列に並んで、季節の花が天井までいっぱいに並んでいる。花入れも、花の庭のための人形も、肥料もすべてととのっている。世話好きの太った伯母さんが、恋人かい、それとも愛人に贈るならこっちの花に限るよ、と世話をやいてくれる。 あれこれと花選びをしているパリジェンヌ、マルシェ帰りのお母さん、さっとポルシェを乗り付け七色のローズの束を後席に投げ込んで走り去るベッカム風の伊達男と、パリの花市の時間は楽しい。
 五月のパリは、花が溢れている。ロンポアンのファンタジックな花壇は、シャンゼリゼーの大通りにかけられたネックレスのようだ。 マドレーヌの大階段もある日突然に花畑にかわる。その花畑のなかで、言葉をかわし、ベーゼを重ねて時が流れて行く。
 モンソーの公園も、ペール・ラシェーズの墓地も、みんな花いっぱいになる。ショパンも、ピアフも、アポリネールも、バルザックも、みんなお花に囲まれて眠っている。
 パリ中の男を狂わせた椿姫のモデル、アルフォンシーヌ・プレーシーのモンマルトルのお墓には、今日まで166年、花が絶えたことはない。最後の恋人がすべての遺産を彼女への花のために遺したのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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