絶望の過保護のカホコ

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絶望の過保護のカホコ
 21歳にして …… バイトしたことない。
          一人で洋服選べない。
          いつも送迎付きで駅まで歩いたことがない。
 わが家にも同じ条件の人間がヒトリいるので、興味をもった。
 日本テレビの新水曜ドラマ、「過保護のカホコ」である。
 親離れできない、子離れできない、ありがちの三人家族のものがたりだ。日本テレビの水曜ドラマは、風刺力、皮肉力、において群を抜いているので、TBS系のいかにものドラマぶつた作品よりずっと気楽に見ていられる。子供もペットも女性もみな過保護に慣れきったこの国の心臓部を揶揄するブラックなコメディである。
 奇蹟の純粋培養人間に扮する高畑充希、下手なのか上手いのかよく判らないが、まあ印象に残る。
 娘への溺愛がすべての黒木瞳、愛情はにじみでていないが、困惑のさまは伝わる。
 保険会社に努める父時任三郎、娘が思い通りにならない父親の立ちすくんだ孤独が似合う。
過保護に気がつかない過保護だらけの家族の行き違いが笑わせてくれる。
 クスッと笑ったり、ブラックだったり、遊川和彦の脚本はノエル・カワード風な喜劇に仕上がっている。
 抗菌ビニールハウスから、雑菌だらけの世間に飛び出した、過保護のカホコに浴びせる
「お前みたいな過保護が日本を駄目にする!」言い放った作者の意図は、果たして視聴者に伝わっただろうか。
 ブラウン管の前には、過保護な絶望が寝そべっている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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