素麺との別れがつらい

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素麺との別れがつらい
 九月も終わりに近ずくと、ああ今年も素麺との別れがきた、と悲しくなる。
 夏の呼び声とともにやってきた素麺は、たつ秋風とともに勝手に去っていく。
 素麺との初めての出会いは貴船の谷あいだった。それまで家の食卓でたべていた素麺は、素麺ではなかった。貴船の川床で竹の道を流れ下る流しそーめんに出会ったとき、ああこれが素麺だと感激した。岩のあいだから流れ落ちる冷たい水には霊力がこもって素麺の味をいっそう引き立ててくれた。谷川のしぶきを背に聞きながら、眼の前を流れ下る素麺を箸で受け止め口元に運ぶ。暑さを忘れ、夏の疲れを吹き飛ばしてくれた。
 以来素麺には環境が大事と思うようになった。
 フローリングのダイニングでいただく素麺には、バカラのガラスのどんぶりがよく似合う。染付の大きな器でもブルーが素麺の繊細な細さをバックアップしてくれる。
 我が家では、尺二寸ほどの桶の手付きを使っている。外側は黒漆の溜塗で、なかは金箔仕上げである。若い楓などをあしらって素麺を流し入れると、立派なご馳走にみえる。夏の来客のための手抜きのもてなしである。
 カルチャー・ショックだったのは、長い麺を畳んで固めた大門素麺との出会いだった。青山の紀伊国屋で遭遇した。すこし太めながら小麦の味がしっかりと伝わり、越中砺波の冬の厳しさがしっかりと伝わった。当時のガールフレンドが、越中育ちで故郷を語りながらのソーメン付合いだった。奈良の三輪素麺にもずいぶん世話になった。香川の小豆島素麺、愛媛の五色素麺、そしていまでは兵庫の揖保乃糸寒造り特級品に助けられている。
 梅雨を三回越さなくとも、充分に歯ごたえもよく喉こしのいい素麺を楽しんでいる。
 来年もまた素麺の至福に出会えることを信じて、秋を待ち構えている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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