素人クラシック、日舞に追いつく?

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タキシードが出てくる。ピカピカイブニングが登場する。セレブな叔父さん叔母さんが次々とえんえんとオペラのアリアを歌う。イタリア語?ドイツ語?唄っているのは日本人だが、多分丸暗記のアッチ語だから、本人もよく解っていないのかも。昔から日本舞踊のおさらい会は、そんなものだった。親に強制された少女達がもっともらしく道行心中物など訳も分からずに踊っていた。お師匠さんの生活費のためだったが、この国の伝統文化の継承には役立ってきた。落語に横丁の御隠居さんの謡曲につきあう店子の困惑ぶりを語った話があるが、文化との付き合いも身の丈を考えてこその一面がある。欧米の音楽コンクールで日本人の参加者が歓迎されないのは何故か。解釈不在の技術だけがアジアの田舎から来ることへの反発からだ。この国の有識者が陥っている誤った教養主義が軽井沢のホールにまで押し寄せている。オペラで食べられないオペラ・シンガーの選曲に、小金持ちのオジサン・オバサンが踊らされている。指導者は物まね上手で、文化不在なのだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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