歌舞伎役者のスキャンダルといえば、家業のようなものだが、あまりにもスキャンダル続きではいささかウンザリする。
亡くなった坂東三津五郎の八十助時代、元宝塚の前妻と別れ女子アナの近藤サトと一緒になった。あまりの女好きについたあだ名が、八十助もじってハメ助だった。
中村獅童も竹内結子と結婚中、岡本綾との不倫がばれ、篠原ともえを始め高岡早紀、鈴木砂羽らと浮名を流した。
圧倒的だったのは故中村勘三郎、太地喜和子、大竹しのぶと不倫のうえ、宮沢りえの自殺未遂を起こした。
市川海老蔵も日置明子に子供をつくり、米倉涼子、宮沢りえ、佐藤江梨子、と行脚し小林麻央で落ち着いた。
尾上松也は前田敦子と、片岡愛之助は熊切あさ美から藤原紀香と変わって、いよいよ結婚の段取りとなった。
橋之助と三田寛子のごとく、家庭一本に絞って女房の役割りを務めた場合は上手くいくが、芸能畑に未練のある女房の場合、なかなかに難しい。
そもそもの歌舞伎の起源を考えれば、女性が扮する男と男がふんする女たちによるトランスジェンダーな見世物に発し、幕府の禁令により今日の男と男の扮する女という異形の芸能になったので、性とセックスはいつもついてまわつた。
常識から逸脱し、人を驚かせる新奇さこそが、いつも歌舞伎の生命を維持してきたが、沢山の浮名の後、やっぱりね、といった子供の産めそうな、役者の女房のつとまりそうな女に軟着陸するのが、歌舞伎役者の結婚だった。
雀右衛門襲名披露のど真ん中で記者会見をし、一日署長ののちド派手なパレードをする藤原紀香に、果たして梨園の妻が務まるかどうか、贔屓筋はみな不安を抱いている。
紀香に梨園の妻は務まるか
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す